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感考創彩

ちょっとの好奇心と工夫で、人生はずっと面白くなる。忙しい日々の中にちょっとしたゆとりと気づきを、人生に彩りを。そんなゆる〜いブログです。

ユーモアのセンスを磨くために

今自分の中でお笑いブームでして。
10年前のM1を今頃になってゲラゲラ笑いながら見たり、ユーモアについて書かれた本を読んで自分なりに体系化してみたり・・・ちょっとした贅沢な時間を過ごしています。

しかし、今の時代、ユーモアは本当に貴重な役割を果たしていると思うんですよね。
人生なんて、うまくいかないことの方が多いじゃないですか。そんな時、ほんのちょっとでもクスッと出来るだけで、気がつけば心が少しだけ前向きになれている、という経験は多くの人が持っているはず。そして、目の前の途方もなく大きく見える問題に対して、討ち死に覚悟で真正面から突撃するのではなくて、少し他に逃げ道がないか、視野をずらして見てみる心の余裕ができると思うのです。これは個人レベルでできる最高のマインド・セーフティーネットのようなものだと個人的には思ってます。真面目な人ほど、大きな問題を抱えた時にその問題をなんとかしようと頑張り過ぎてしまって、一つの問題にのめり込んでしまって、気がつけば取り返しがつかないほどに疲弊して心身の健康を崩してしまいがちなもの。ユーモアのセンスを磨いておくことは、自分の心身の健康、そして時には命を救うことにもつながるかもしれません。

ではユーモアのセンスを身につけるにはどうすればいいのか。
これは、ユーモアがあるなと思える人をよく観察してみるのが一番なのかなと。
今まで、自分は「ユーモアセンス=人を笑わす天性の才能」だと思ってました。
自分にはそんな天性の才能はないから、人を笑わせられるような面白いことが何一つ言えないから。だから友達も少ないんだろうなぁ、と勝手に考えてました。でも、多分そうじゃない。今のところの自分の中間結論としては、「ユーモアセンスは後天的に磨ける。そして、それは如何に自分らしさを素直に出せるかによるところが大きい」のだと。ユーモアがある人、面白い人は必ずしも、面白いことばかり言っているわけではない。それでも、話や雰囲気、着眼点にその人らしさが垣間見えると、見ている方は自然と笑ってしまう。

まだ書きたいことはあるのだが、それはまた今度にしようと思う。

そろばん

最近何か新しいことを始めてみようと思い立ち、そろばんを始めてみた。
こう言うと大抵の人は若干引きながらも「なんでソロバン!?笑」って食いついてくれるのでちょっと気持ちが良いのだ。笑

でも確かに、今この時代に、なんでソロバンなんだ?
改めて自分にこう問うてみると答えるのは案外難しい。
昔と違って今は計算機で溢れている時代だ。ソロバンがなくても、手元にスマートフォンがあれば、ものの数タッチで電卓を手元に用意できるではないか?

ちょっとだけ格好つけた答えをしてみよう。
自分は「数」を数字だけで記述して計算するという作法に、少しうんざりしてしまったんだ。もっと視覚的で、直感的に数を扱ってもいいじゃないか。そう、算数を学び始めたばかりの子供が、目を輝かせ、指を折ってものを数えた時のように。あの時の僕らは数というものをもっと具体的に、両手の中に確かな実感を伴って握りしめていたはずなんだ。

それがいつからだろう。

数は自分の手の中から遠く離れてしまい、自分はいつしか自分の手で数を握りしめ、そして数えることを忘れてしまった。数を数えることは数字を読むことに変わり、そしてただただ面倒な計算へと変わっていく。それは数字という抽象的な記号を媒介しなければ成し遂げられないほどに複雑化してしまった。

数学という学問の中ではさらに抽象の度合いを強めていく。
自分は数学の専門ではないが、仕事柄数式を見ない日はない。
高度に抽象化された数式は、気高く、美しさがある。
数を抽象化して扱う学問をここまで磨き上げてきた先人の叡智がある。
現在のテクノロジーの発展における数学の功績は計り知れないものがある。

それでも、やっぱり身近な数は。

身近な数だけでも自分の傍にいてほしい、この子離れできないような余計な老婆心。

それが自分がソロバンを始めた理由なんです・・・

なーんてね。

ただただ暇人なだけですw

クリスマス2016

はてなブログに来てから全く記事が書けてない。
月一などという緩い目標を立てたらそれすらクリアできるか危うくなってきた。
来年は一つビシッと目標を決めてブログを書いていこうと思っている。 

今週末はクリスマスイブ前後が3連休だった。
北風が吹くと木々の枝が揺れ、ツリーを着飾る暖色の灯が瞬くのを見ていると心が洗われる気分になる。自分は幸いにぼっちでもイルミネーションの雰囲気は楽しめる性根らしい。カップルが幸せそうなのを見ると心から微笑ましくなる。いやここまで言うと少しばかり偽善か。もちろんちょっとだけ寂しい気持ちにも襲われるが、それほどではない。

仮にも30年という長くはないが決して短くもない人生を、いつだって他でもない自分という人間と生きてきたのだから、クリスマスの1日2日の孤独が何であろうか。この程度の孤独なんて屁でもない。すかしっ屁である。

そんなこんなで、今年の3連休は気合を入れてぼっちのクリスマスを満喫しようと思っていた矢先に発熱した。38度5分。世間は何やら4℃で騒いでるがこっちは水の体積が最大になる温度とかどうでもええねん。てかあれは4℃は営業妨害レベルで炎上のもらい損だろ気の毒に・・・

でまぁ発熱のアクシンデントはありましたが、数学の勉強会に顔を出してみたり、最近趣味で始めたそろばんを一人で地味〜に弾いたり、10年前のM1を見てウヒャヒャって笑ってみたり

それなりに楽しいクリスマスとなりました。

AI業界と他業界の相互理解の不足

はてなブログの初めての記事が少し重い内容となってしまうけど。

今日話題に上がっていたこの動画について。

宮﨑駿監督にガチギレされるドワンゴ会長川上氏

 

この動画を見て感じるところは人様々だとは思いますが、自分は仕事柄、AI技術者からの視点で書いてみたいと思います。

 

なお、自分はこの部分からだけでは宮崎監督の「生命への侮辱」という主張はイマイチ腑に落ちませんでした(ゾンビの映像から障碍者を想起する、という主張も理解できませんし、この主張が通れば表現の自由は著しく制限されることになりそう)。

 

なのでここでは少し別の観点から、AI技術者として気をつけた方が良いのかも、という点を備忘録として書いてみます。

 

AI技術者が気をつけるべきこと

自分がこの動画を見ていて感じたのは、「AI業界の専門家」と「他業界の専門家」との相互理解の不足です。本来協働すべき双方がお互いの主張、価値観に囚われてしまい、今までにない新しい価値を生み出せたかもしれないチャンスを逸してしまうのは、甚だもったいないことだと感じます。

 

おそらくAI業界外の人が、あの奇妙な動きをするアニメーションを見せられて、その背後にある技術的な挑戦や成果を理解するのは、あの説明だけでは困難、というより恐らく無理でしょう。 

 

それ以上にゾンビの見た目の気持ち悪さに気を取られてしまい、生理的に拒否反応を引き起こしてしまう人もいるのは想像に難くありません。

変にリアルなゾンビと奇妙な動きばかりに気を取られてしまい、一番肝心なところがまるで伝わっていないのです。

 

自分の勝手な推測ですが、ここで技術的な成果としておそらく伝えたかったのは、

人間が歩き方を教えずとも、AIが自力で歩き方を習得した。その過程において、痛覚などの影響を外したところ、AIは頭を足のように使って移動することを自力で学習した。これは人間の常識に囚われていては間違いなく出てこない、AI独自の発想とも言える。AIを活用することで、人間の常識を超えた何らかのヒントを得られる可能性を秘めている」

こんな辺りにあるのでは、と推測しています(大きく外していたらすみません)。

おそらくは強化学習と呼ばれる手法の一つかと思います。

 

もう一つ気になってしまったのは、なぜ宮崎監督のお家芸でもあるアニメーションを使ってプレゼンをしてしまったのか。 

アニメーションの巨匠に、実験段階とはいえ人工知能の成果として安易にアニメーションでプレゼンを行うことはどうなのか?

 

相手の専門分野に対する敬意を欠いていると思われても仕方がないのでは、と感じます。「人工知能を使うことで、この程度のアニメーションなら人工知能で簡単かつ自動的に作れてしまいますよ」という誤ったメッセージを送りかねません。

 

もしこのような誤ったメッセージが相手に伝わってしまえば、相手は自分の仕事が軽んじられた、自分の専門分野に土足で踏み入れられた、と捉えられたとしても不思議ではない気がします。すると相手も当然自分の仕事への誇りから、「人工知能ごときに自分の専門分野を侵されてたまるか」との反発を受けても仕方ない。

 

相手の専門分野でプレゼンをするのであれば、その背後にある技術を誤解されないように丁寧に説明を加えたり、本質からズレた部分に変に気をとられないよう、題材を注意深く選択すべきだったかと思う。 

 

自分もことあるごとに反省することが多いのですが、AI技術者は他分野の専門家に対する敬意を忘れてはならない、と思います。

 

産業革命においては、人類は人間の手足を代替する機械を発明しました。

一方現在騒がれているAIは、人類の知能を飛躍的に拡張したり、部分的に代替する可能性を秘めています。その性質上、様々な産業に与える影響は計り知れません。

 

その一方で、仕事をロボットやAIに奪われる、という危機感を抱いている人が大多数存在しています。仕事は人間にとって、自尊心など自分の存在意義の根幹に関わってくる重要な要素。それだけに非常に敵視されがちなテクノロジーです。

 

そのことを忘れずに、AI技術者も襟を正して、倫理観と他業界への敬意、そしてAI技術を可能な限り正しく理解してもらう努力を忘れずに、研究を進めていく必要があるのでは、と思わされた次第です。